〈12〉第七回 アジア・太平洋のこどもたちと



 それから4年後の富山国際アマチュア演劇祭は、前回の世界こども演劇祭でなかなか出演できなかったアジアのこども達を中心に「アジア太平洋こども演劇祭」を開催することになった。世界大会となって事前選考を行ってみると、やはり技術、照明、装置・・・と、いろんな点でのアジア地域の遅れで、競争に勝ち残れないことが判明したからである。それに日本の隣国であるアメリカからと、富山県と友好提携を交わしているアメリカのオレゴン州から招待することにした。だが、そういったことを周知徹底したつもりだったが、にもかかわらず各地から申し込みが送り届けられた。各国から一団体と言っているのに、二組が申し込んできた国。IATAの各国ナショナル・センターに選考を委託したけれど、行き届いていなかった。今度も選考委員会を開いて、最終招待国を決めた。資料とビデオを見た結果、アジアと環太平洋地域以外から、イタリアとコンゴを招くことになった。ドイツは発祥の地として招待が決まった。だが、コンゴは開催一週間前になって参加の取りやめを連絡してきたので、最終的には16ヶ国からの19団体が参加することになった。しかし、今回は新機軸として、富山の子どもたちから、学校単位で、あるいはグループ単位で出来るだけ多くの優れた団体に、歓迎の意味を込めたウエルカム公演とふれあい公演に出場して貰うことにした。ブラスバンド、日本舞踊、合唱、洋舞、器楽演奏など、幼稚園児から高校生までの出演があって、海外からの来訪者たちには大歓迎された。もちろん、オーディションで選抜された富山の子どもたちグループによるオープニング公演「ようこそ富山へ!」もあったし、前回に作られた八幡茂作曲Welcome to Toyamaが歌われた。司会はこれまで海外公演に何度も参加したこども連中によって、てきぱきと進行された。洋舞が二つ、日本舞踊と歌舞伎、それにブラスバンド演奏の優れた出来栄えに、観客から歓声と拍手が大きく鳴り響いた。

 会場として、これも前回と同じくワークショップとセミナーには呉羽の芸術創造センターそして高岡市生涯学習センターが当てられ、公演には高岡文化ホールと富山県民会館が使われ、最終日だけに富山市芸術文化ホール、通称オーバード・ホールが用いられた。今度も、幼児たちから大学生までの出場で、多様性の幅が広かった。しかし、幼いものは幼いなりに、大学生は大学生なりに、みんな日頃の練習成果を十分に発揮していたと言わねばならない。「子どもたちによる」を謳っているドイツの舞台にも教師役に大人が登場していたのは、「大人と子どもによる」こども演劇祭という私たちの意味が受け入れられたことの証と思えた。客席を巻き込んでのインドの舞台、次々に舞台上で衣装を替えながら展開していったオレゴン・グループ、ネパールの舞台など、どれも、自分の所属する地域と文化に根差した興味深いものであった。普段会っているときの「子ども」らしさからすると、舞台に上ったときの、一人一人の存在感には、圧倒される思いがした。それは登場人物として、そこに描き出されている別世界の人間になりきっているからだろう。

「アジア太平洋こども演劇祭」の最初の公演は
中国・遼寧省児童芸術代表団

障害者の劇団
オーストラリアのノイジー・フライアーバーズ
 ワークショップでは、日本の講師たちの担当する、生まれて初めての筆を持って試す書道、琴に触れて奏でる「さくらさくら」、陽気な「ソーラン節」の音頭に合わせて櫓を漕ぐ民謡踊りなどなどに、みんなが興じていたし、外国からの講師たちによる即興劇や踊りの所作にも沢山の参加者があった。今回は劇評家13名による批評が、新聞という形ではなく、終了後に纏めて刊行される手筈になった。これまでを拙速と考えたのではないが、批評する側に、ちょっと、考えを纏めるため、執筆するためのゆとりを与えるためであった。今回も宣言文を発表したが、子どもの委員たちが、自分が以前に参加した海外の演劇祭での体験から、この演劇祭に託した夢を綴ったものを持ち寄り、話し合って纏めたものである。大人の委員は同席して、その手際の良さに、感心しながら、眺めていただけであった。彼らの中に、既に前回からのものが「つなぎ わた」されていたからである。

 とやま世界こども演劇祭と同じく、今度も壁新聞が発行されて、幼い記者たちが取材に大童であった。それは傍らで見ていて、ほほえましい風景であった。また、呉羽のセンター集会場に貼られた紙には、参加者が思い思いに色んな事を書き込んでいた。(あれはどの様に保存されているのだろうか?きっと、今に素晴らしい貴重な資料となるだろう。)中にエクスカーションの一日を挟んで、8月1日から6日間の演劇祭は、最後のオーバード・ホールでのアメリカ、オレゴン・グループと日本の可西舞踊研究所の「青い鳥」公演で終わりとなった。閉会式では、各国の代表者にトロフィーが渡され、メダルが首に掛けられた。名残を惜しむ笑顔と涙はここでも見られたが、それぞれ次々と前に進み出て、お得意のダンスを始めたり、それに飛び入りが入ったりで、賑やかなことであった。エクスカーションの時はもっと元気が良く、凄かったですよとは、陰の声であったが、別れに付き物の感傷は少なく、むしろ新しい友達の記憶に刻みつけようとでもいうように、快活な、イノセントな喜びの表現であると思えた。

大トリは、富山・ 可西舞踊研究所による「青い鳥」

村上真央さんたちによる 「こども演劇祭宣言」
 IATAの現会長であるアルバのトロンプ氏が、幼稚園から中学生までの子供たちが一緒になって奏でたヴァイオリン演奏にひどく感心していた。地元富山の子供たちの見せた底力に驚いていた様である。トロンプ氏だけでなく、日本の子どもの愛らしさ、素直さを褒めた人は多かった。富山が知られるようになるのは嬉しいことであり、演劇祭開催の狙いでもあることだ。
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