〈13〉第八回への展望



 二十年余にわたって七回も開催してきた富山国際アマチュア演劇祭を振り返って見るとき、幾つか、心に銘記されることがある。先ずは、通信手段の驚異的発達である。世界が忽ちにして繋がる。今日送ったeメールに、明日の朝には返事が来ている。(それに今や国際的公用語としての英語についていうなら、些末な文法的間違いに拘泥しなくても良いことが、実感できた。それぞれ、自分の母語を引きずった英語(らしいもの)を使って、用向きを書きつづってくる。そしてそれで通用するのだ。もちろん、出来るだけ正確な英語を使おうと努力すべきなのだが、厳密に正確でなくても、兎に角、伝達のためには発信しなくてはならない。英語を母語としている人たちからの通信にも、正確さからいえば、間違った用法も散見するから、その点は意を強くするがいい。)

 第二点は、国際的なことに関しては、何が起こるか予測できないことが多いから、柔軟な対応が必要であるということである。規則一点張りでは駄目だが、さりとて、無理を言ってくるところに対しては、原則を話して非を認めさせることが肝要である。その後で、譲れるところは譲る方が実際的であり、良かろう。某国から推薦してきたのは、近隣諸国からの情報では明らかに劣ったグループで、推薦して貰えなかったグループから直接申し込みが来たという事件があった。その国の責任者にこちらに入っている情報を伝え、優れたグループを推薦するよう伝えたが、なかなか埒があかず、応対に手こずったが、再三にわたる手紙による諫言で、最後には向こうも認め、晴れて国際センターの推薦を得てきたこともあった。また、コンゴ・グループからは、参加不参加の最終的決定はもう少し待ってくれというメールが来るばかりで、こないという連絡が来たのは、一週間前だった。一週間前で飛行機のチケットが、それもグループ数名のものが、取れるとは到底思えないし、彼らは態度決定をもっと前にしていたのではないかと思われる。しかし、参加したい熱意の表現として受け取っているから、無碍に彼らを非難できないのだ。

 第三点は、何と言っても、平和があったればこそ、演劇祭が恙なく実施できたのだ。この間、地球の何処かでは、戦争があって、殺戮があり、テロが横行し、無辜の人たちが殺されていた。しかし、それらは、富山での劇空間にまで及ぶことがなかったことは、本当に幸いであった。子ども宣言文にもある通り、それらが「誤解と憎しみから起こってきている」のであれば、演劇祭を通して培う「相互理解と友情の大切」なことは改めて言うまでもない。

 更には、私たちの演劇祭を通して、大人と子どもの連携が密になったと思えることが挙げられる。成果を求める上でのプロセスの大切さは、すなわち教育が最終的に求めるものに他ならない。人間的成長を目指して、集団の中の役割を意識し、全体として上げる成果に貢献する。「一隅を照らす」という。片隅の己に与えられた役割を着実に果たすことが社会を育てることになるという自覚。その為に大人は子どもを指導し、訓練する役割を担っている。富山の子どもたちは、その意味では確かに育ってきている。

 富山を「アマチュア演劇のメッカ」と呼ぶ人たちがいる。世界のアマチュア演劇界では、富山の演劇祭に参加することをどんなに願っている人たちが多いことか。そして、参加したことを喜んでいる人たちがいることか。富山県には、富山に長らく滞在し、将来も富山をPRしてくれそうな人たちを名誉大使に任じているが、富山国際アマチュア演劇祭に第一回以来参加し続けている人たちが名誉大使を委嘱されたことを誇りとし、それぞれの国で富山の名を大いに喧伝している。富山の風土と人情を、また山の幸海の幸の味わいを。第七回目のアジア太平洋こども演劇祭で寂しかったのは、常に大きな体に悪戯っぽい目を輝かせ、ジョークを連発して人々を魅了してきたモート・クラーク教授の姿を見ないことであった。東奔西走、世界の演劇祭にはかならず現れて、人気者であったし、富山の広告塔的存在であった教授は、病魔に冒されて病床にあると聞く。今ここに、彼の一日も早い回復を祈りたい。新しい友人たちもできた。アマチュア演劇の世界では、富山は、最も元気のいいところとして高く評価されている。関わりを持った人たちは、誰もが大きな感激を体験して帰られるのだが、どうしたことか、国内ではさほど知られていない。国際的イヴェントとして、回を重ね、その度毎に成功している催しであるにも関わらず、その存在が知られていなさ過ぎる感がある。飾り立てた装置と衣装に頼り切った商業演劇には見いだせない、素のままの演劇本来の姿があるとまで言われた貴重な舞台を、もっと見て貰いたい。いや見て貰うようにするのが、演劇を通して相互理解と友情を計る国際アマチュア演劇連盟の使命と願いを果たすことになるのではないか。海外からの参加者だけでなく、国内からの参加者も交えて、一段と演劇祭の役割を広げていく努力をしなければならないのでは無かろうか。それが、間もなく演劇祭の舞台から退場する私たちの最後の仕事になるのでは無かろうか。21世紀の富山国際アマチュア演劇祭は、新しい皮袋に入って、芳醇に発酵して行くであろうことを、念願して擱筆する。 Hurrah! Hurrah for TIATF!
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