〈8〉第三回のこと



 第三回目を迎えた富山国際アマチュア演劇祭は1989年7月31日から8月6日まで開催された。折から市制百年を迎えた富山市と高岡市を会場にして今回は「富山国際青年演劇祭」として構想された。「青年」とは何処までを言うのか?先ずこれが問題となったが、年齢による法的定義ではなく、「未成年状態にあるもの、つまり、自分はまだまだ進化発展を遂げることができると思うもの、それがすなわち青年である」と規定することにした。この定義は国際アマチュア連盟でも承認され、当時、日本アマチュア演劇連盟の会長を務めていた原千代海氏がそれじゃ私も青年と言っていいのだねと、完爾と微笑まれたことを思い出す。還暦を超えてイブセンの原語からの翻訳を志し、ノルウエー語の勉強に取りかかり、全作品の日本語訳を完結した原氏は、正しく「青年」以外の何ものでも無かろう。

 今度は、第一回と同じく、コンクール形式を取り、順位をつけることにして、規約に明記した。理由は質の高さを求めたからであった。それに青年という抱負の大きさを誇りとする人たちに、日頃練りに練った技を競い合って貰うことは、大いに有意義なことと思ったからである。確かに各国の公演が多種多様にわたっているし、順位をつけることは難しいし、演劇祭である以上、祭りを楽しむために競争などしない方が良いという主張にも聞くべきところはあるが、祭主に捧げる神聖な公演である以上、精進の結果を示すものでなくてはならない、その為には競うことを求めても、悪くないという見解もある。また、アジア地区センターが開設されたことで、アジアからの参加が、韓国に加えて中国、シンガポール、インドと増えたことが目を引いた。また、「アマチュア演劇の富山」の評価が高まったことから、ギリシャ、アイスランド、フィンランド、ポルトガルからの参加があった。前二回の演劇祭に参加していたブルガリアは、地震災害があり残念ながら資金調達が上手く行かないので参加を取り消した。実際、演劇祭の開催にさえも、世界の情勢が敏感に反映してくる。

 「地域社会における国際交流とアマチュア演劇」と題した討論会では、「文化に大国と小国の区別は有り得ない、それぞれ固有のものを持っている。他からの押しつけを排し、自分の文化を享受し、発表できることが楽しい」と述べたカメルーンの代表と、「幼稚園ではユダヤの子どもと非ユダヤの子どもが仲良く一緒に遊んでいる」ことを指摘したイスラエルの代表、更には北欧からの代表が「アマチュアという語にこそ高い精神性が示されている」と述べたことなどに、強い印象を受けた。

 大がかりなセットもなく、裸に近い舞台で演技者が発するメッセージを観客が受け止め、それぞれに解釈して反応している、この演劇祭の在り方に、演劇の本来の姿を見ている演劇評論家もいたし、出演者と観衆が一体化して、反応し、拍手と歓声を掛け合っているところに、魂と肉体で描き出した国際交流と理解の姿を見たと言う人もあった。劇場だけでなく、富山の町の清潔さと市民の温かい態度に接して、富山ファンになった参加者たちの声も聞かれ、富山は「アマチュア演劇のメッカ」という声さえ聞くことが出来た。
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