〈10〉第五回 洋上演劇祭



 第五回は1996年、国民文化祭が富山で開催されるのを記念して「富山国際演劇祭」と「国際こども演劇祭」の二本立てで構想された。両方を貫く基本的テーマとして「つなぎわたす 劇空間 人間・世界・慈愛」が採択された。英語ではToyama as a HUB of Amateur Theatre(アマチュア演劇の中核としての富山)である。そこでの中核に当たるHUBという語はHumanity(人間)、Universe(世界)、Benevolence(慈愛)の頭を綴り合わせたものに由来している。成人と子どもの二つの演劇祭を併設したのは、大人から子どもへと繋ぎ渡されるべきものがあり、過去の成果が次代により豊かな実を結ぶことが期待されるからであった。

 第五回目となるこの演劇祭では、今述べたテーマに加えて、新機軸として豪華客船「新さくら丸」に全員が乗り込み、富山湾上をクルージングしながら演劇を楽しむことが企画され、実施された。富山は北に海を抱き、南から東西と三千メートル級の山並みに取り巻かれている地形的特色を持っている。三千メートルの山頂から、僅々40キロメートル前後で海岸線に達することが出来る所は、世界に数少ないと言われているが、富山はその一つである。これを利用しない手はない。立山へはエクスカーションで参加者を案内してきたが、海はまだだ。しかし、この実現には幾つもの難点があった。先ず、自然現象的には、期間が台風シーズンであること、風が強くても、雨が降っても、甲板上での開会式も舞台公演も難しくなるし、海上交通や漁業などの必要から、照明を自由に使用出来ないこと、そして、船を借りる費用の問題が大きく立ちはだかっている感があった。だが、叩けば、開かれるものである。願えば、叶えられることがある。願わないで、叩かないで、成就しないことを嘆くのは愚かである。

 船という隔絶された空間の中で、演ずるもの、鑑賞するものが、寝食を共に、演劇に浸りきると言う破天荒な試みが、企画した人たちの願いに応える諸方面からの厚い助けによってよって成就した。それは平成8年9月29日のことであった。


“世界のメロディー”金管五重奏 出航時だけは風で譜面が飛びそうだったけど、湾上で「こんな素敵な演奏が聞けるなんて最高に幸せです」
 午後三時、オープニングを飾る金管五重奏が甲板から響き渡り、開会式の式典が行われた。デッキを渡る風が心地よい。そして、四時半を回って、黄昏ていくメイン・デッキ、オープン・デッキ、それに船内のさくらプラザと、三つの会場を使って公演が始まったが、マストまで使った立体的劇空間に展開される芝居は、恐らくアマチュア演劇で世界初のものであったろう。エンジンの響きは軽快で、殆ど揺れなど感じられない。動いているのもそれと分からなかったが、引き上げた部屋の円い窓から、陸地の明かりが綺麗に明滅して見えた。翌朝早く甲板に出てみると、軽い雨が過ぎたところで、滑川沖合あたりまで船は進んでいた。

 翌日は、陸に上がって、魚津市の新川文化ホールを会場にして公演が始まった。この日は、富山のろう者劇団おんにょろ座によるチェホフ原作「結婚の申し込み」の公演があって、国民文化祭に来県中の皇太子殿下、同妃殿下が見学されることになっていた。IATA役員初め、海外からの参加者たちも、席を同じくして観劇するというので、みんな緊張の面もちであった。スケジュール通りの時間に山口松蔵館長の先導で両殿下がお出でになり、宮内庁随行員一行と共に中沖知事が続かれ、説明役を仰せつかった平田が後を追って会場入りした。この芝居は、劇団文芸座のレパートリーの一つで、前にも述べたとおりアメリカのウエストチェスターで公演し、ハンガリーとの交流を開く機縁となった劇である。1985年チェコのブルノー市で開催された国際パントマイム・フェスティヴァルに参加することになったおんにょろ座は、小泉博氏に指導を仰いで練習した成果として、身体障害者賞を獲得して以来、十八番としているものである。両殿下も、少し身を乗り出してご覧になっている。妃殿下が殿下の耳元に何か囁かれて、低く抑えた笑い声がきこえる。もちろん聾唖者だから科白はない。でも、殿下の笑いはツボを押さえた笑いであり、ドラマの進行をしっかり理解されている。若くして聡明であり、気品ある殿下の姿勢に接して、こうした殿下を、将来、我々の象徴として持つことに喜びを感じた。芝居が終わって両殿下が退席されるとき、海外の連中は大きな拍手でもってお送りした。「ナイス・プリンス、アンド・プリンセス」と笑顔一杯であった。会場を出られた殿下と妃殿下は、出口付近に整列したおんにょろ座の連中に対し、立ち止まって親しくお言葉をかけてねぎらわれていたし、IATA役員達の見送りにも答礼を送っておいでになったが、それでスケジュールが大きく遅れ、警備の人たちをやきもきさせたようであった。皇太子殿下・同妃殿下がアマチュア演劇をご覧になったのは、おそらくこれが初めてのことだろう。特筆すべきことである。

 モナコ・グループが童話作家ペローの世界を取り上げて演じた他、シェイクスピアものが二つとシェイクスピアのパロディが演じられたのは、奇妙な偶然だろうが面白いことだった。カフカの「変身」、チェホフの「熊」、それにチェコのパントマイムほか、いずれもそれぞれの国の文化を表現する印象的な舞台が多かった。

モナコ・マックス・ブロッス氏
プリンセスと感激の握手!!

平田純会長は
皇太子殿下・同妃殿下のご説明役
 「国際こども演劇祭」は、10月4,5,6日の三日間、魚津の新川文化ホール、宇奈月国際会館、富山県教育文化会館と会場を移しながら行われた。ここには、モロッコ、エジプト、グルジア、アルバなどの新しい参加国があった。日本の各地から4グループの公演があり、人形劇が6グループ参加している。残念なことに、日程の関係で私は僅かな公演しか見ることが出来なかったので、発言を控えておこう。均衡を失した発言は誤解を招くことになるだろうから。ただ一つ言っておかねばならないのは、このこども演劇祭が次回のとやま世界こども演劇祭に引き継がれていったことである。子供たちの交流の在り方を見て、言葉の障害など、極めてあっさりと乗り越えて、自然な交流が行われていたのであった。

 前回からだが、公演が終わって簡単なコメントが述べられるだけでなく、劇評担当者によって書かれた批評が、英語と日本語で併記された劇評新聞として、翌日刊行され、飛ぶようにとまでは言えないが、随分読まれていたようである。両方合わせて40グループによる公演があり、海外参加者が750名を数えていたのであるから、新聞は1500部くらい印刷されたのではなかったろうか。(私は編集担当の一人として、翻訳の仕事に当たっていたので、公演は見るより読んで知っていることが多かった。その一方で、Break a leg!と言う表現に出会って慌てた。芝居の批評に「足を折れ!」とは何だ!これが「上手く演技した」「成功した」という舞台用の表現であることを知るまでは、収まりがつかなかったことを、思い出す。)
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