〈9〉第四回のこと



 まだまだ述べたいこともあるのだが、話はまだ三回目までで、遅々として余り進んでいない。日暮れて道遠しの感があるので、ここらで第四回に目を移そう。

 第四回は1992年、富山国際アマチュア演劇祭として開催された。一回が12ヶ国15グループ、第二回が11ヶ国14グループ、第三回が24ヶ国27グループと参加が多くなり、日程的に見てこれ以上の公演を組み入れることが出来ないことも分かってきていたので、今回も応募状況を睨みながら、厳選して24ヶ国から25グループを招くことにした。この年は富山で、四つのL、すなわちLife(命)Love(愛)Laugh(笑い)Light(光)をテーマに構成されていた「ジャパンエキスポ」が開催されるとあって、それに協賛という意味合いも含めて、Laughを演劇祭のテーマとすることになった。前回の反省として、テーマを決めてやってみたらという提案に応える意味もあった。

 今回は新しい参加国が増えて、フィンランド、シリア、ウクライナ、アルバ、ポーランドなどの顔が見られ、日本から富山女子と芦屋の二つの高校が加わった。そして、過去三回の実績を高く評価した国際アマチュア演劇連盟は、演劇祭の開会を前に理事会を富山で開くことにしたため、会長のヒュー・ラヴグローヴ以下、事務局を構成する役員が総勢来県した。それで、34ヶ国からの400名を超える海外からの参加者となった。それに対応する迎え入れ体制としては、前回同様市民ヴォランティア通訳、舞台設営への手配りに加えて、プロの参加を得てTIATFレストランが開設された。そして、高校の教員生徒、OBを含め、150人に及ぶ編集局が新聞を毎日発行し、前日の公演の講評を掲載するなど、好評を博した。

休日は全てTIATF会議

「おゝTIATF育ての親たち!」
 また、恒例の花火鑑賞に加えて、八月一日、戦災からの復興への祈りを込めて開かれている「おらっちゃ祭り」のサンバコンテストに多くのグループが応募して、山車のパレードで、一段と華やかさを加えたことも忘れがたい。参加者たちから最も喜ばれたのは、50メートルコースを持ち、整備された屋内プールでの水泳大会であったのでは無かろうか。多くの女性参加者は、折から開かれていた生け花展で、自ら花を生けてみる体験学習を楽しんでいた。それに、前にも触れたが、ジャパンエキスポ会場でのチェコ、中国、ハンガリー、アメリカのプロ劇団による特別公演の舞台は、より多くの富山県民の目を楽しませることとなった。特に、マルセル・マルソーと比肩されるチェコのフィアルカ劇団によるパントマイムは、本物に接することの少ない観客達から見事だと称賛を浴びていた。

 今回の演劇祭のコンクールでは、テーマを定めた。テーマを決めたのは、各国がそれぞれに最高を目指して公演に取り組む機会を提供することも狙いであった。だが、「笑い」というテーマは易しく思えたのであるが、現実には多様な取り組み方があり、どの様に笑いを取り上げるか、その意味で興味がそそられた。笑いを誘うものは何か?何故人は笑うのか?妄想に誘われて狂気に変じていく姿、幻想に包まれた清浄な世界、歌と踊りの作り出す人間的な喜びの集団。笑いのベクトルは幅広い。高笑、微笑、苦笑。涙と裏腹の笑いもある。この演劇祭では笑いを誘う「ユーモア」を「もろもろの文化をつなぐ共通語」として捉えている。人間の生理的な笑い現象ではなくて、知性を通した、文化的笑いを問題とし、言語を異にする人たちの間で、共感を呼び、友情を開き、理解を促進するものとしての「笑い」を狙っていたのであり、その狙いは概ね叶えられたのでは無かろうか。

 カリブ海の島、アルバからのグループはエレベータの中に閉じこめられた人たちの姿を描いて、私たち自身が押し込められている閉塞した時間・空間だけでなく、政治的・経済的・社会的世界を実感させてくれた。アイルランドからは、この演劇祭を始める機縁となった劇団文芸座に最高賞を与えた土地、ダンドークのグループが参加した。しかも、出演者の一人が市長さんであったことに、地域社会の文化性のバロメータにもなる話と興味を覚えた。そういえば、ハンガリーの大統領が劇作家であったり、チェコの大統領が同じく劇作家であった。政治家の話がユーモアたっぷりであるのは、西欧では当たり前のことであり、世界観の相違を含めて、文化の有り様に関わることなのだろう。
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